人のことなら「大変ねぇ、頑張ってね」と気軽に言えます。しかし、それが自分の家族の問題になったら・・・。私は、結婚当初から夫の両親と同居していました。同居の苦労話は、本題ではないので省略します、「色々あった」で、ご理解ください。


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最初に、認知症の症状が出たのは姑でした。そのときはまだ、舅が元気でしたので、姑の世話は主に舅の役目でした。はじめに、どんな症状がでたのかは、正確には覚えていません。でも「何かおかしい」と違和感を持ったことだけは覚えています。


忘れっぽくなったとか、洋服のたたみかたが乱雑になったとか、そんなささいな症状が、はじめだったような気がします。もともと、とても几帳面で綺麗好きな姑でしたから、舅は自分の妻の変化を受け入れることができなかったのでしょう。


変わってゆく姑に、しじゅう怒鳴っていました。今思えば、その怒鳴り声が姑の認知症の症状を悪化させていったのでしょう。それはともかく、夫と私は、姑を病院に連れていくようにと舅に言いました。


これは認知症という病気だから、姑がおかしなことをするのは病気の症状だから、老人なら、多くの人がかかる病気だから、と頑固な舅を説き伏せるには、嘘も少々まじえて、話しました。姑の症状は「ご飯をたべてない」と言いだしたり、風呂に何時間も入っていたり着るものの順番がわからなくなっていたりしました。


それでようやく舅は、姑を老人外来とも言われる「ものわすれ外来」のある総合病院の精神科に連れて行きました。がっくりとした顔で帰ってきた舅は「認知症やって言われた」と、怒ったように言いました。自分の妻が老人になり、認知症になったことが許せなかったのかもしれません。


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認知症の症状を調べてみると、さまざまなものがあるようです。その中で、姑に合うものを見てみると今までできていたことが、できなくなる。これに集約されているようです。幸い、と言っていいのかどうか「嫁の私がお金を盗んだ」とか「財布を隠した」とか「家の権利書を・・」という方向には行きませんでした。


それより、まず洗濯物を畳むのに1時間以上もかかるようになりました。私は、認知症の老人といえども、何か仕事があったほうが張り合いになるだろうと思い危険のない仕事で、急がないものをと思い洗濯物の片づけを姑に頼むことにしていました。


時間がかかってもいいや・・思っていたのですがいつまでたっても終わる気配がありません。そっと覗いてみると、1枚のシャツをたたんだり、広げたり、また小さく丸めたり・・・そんなことを繰り返していたのです。


そのうち、食事も自分からは食べなくなりました。元々、食の細い人でした。私が何度も「ご飯ですよ、ご飯食べようね」と言わないと、食事をはじめませんでした。舅は、相変わらず怒鳴ってばかりでした。認知症になった姑よりも、頑固な老人の舅のほうが扱いにくい時期でした。


ある日、テッシュを箱から出してばかりいる姑に舅が腹を立て「何をしてるんや!もう出て行け!」と怒鳴ったことがありました。すると姑は、泣きながら本当に家を出てしまったのです。あの老人の足で、そんなに速く歩けるはずはないと思ったのに瞬く間に姑は行方不明になりました。


見つかったのは翌日、隣町の警察署でした。どこをどう歩いたのか、姑の背中は一晩で大きく曲がっていました。本当に「認知症の老人」になってしまいました。そして、姑はストーブの上に洋服を置き、小火ですみましたが火を出しました。もう、家にはおいておけないと思い介護付き有料老人ホームに入居させました。


それから、認知症の症状はころがるように進み、最後は、自分の便を洋服箪笥に入れたり、ドレッサーの引き出しに入れるようになりました。ホームのヘルパーさんには、ご迷惑をおかけしたと思います。老人ホームで3年間お世話になった後、姑は他界しました。


私が老人になったら、どうなるのだろう?認知症になるのだろうか?できれば、死ぬその日まで、自分で歩き自分で考えることはしていたいと強く思った次第です。


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