私たちには、身体に対しておこる病気と心に対しておこる病気の二種類があります。身体に対しておこる病気は、細菌やウイルスなどが原因であることが多いです。


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心に対しておこる病気は、私たちの気持ちや考え方、性格が多く関係していると思います。高所恐怖症、閉所恐怖症、異性恐怖症、先端恐怖症などさまざまな恐怖症が現代にはあるのです。


誰もが最初からそうではなかったはずです。しかし、その人に対する何かの事柄によって、こういった恐怖症を引きおこすことがあるのです。


対人恐怖症といった言葉を聞いたことがあるでしょうか。これは文字に表されているように、自分以外の相手が怖い、何を考えているのかがわからないために不安でたまらなくなってしまう、といったものです。


私は、自分ではそこまでひどくはないと思っていますが、この対人恐怖症です。常に、どんな場面でも相手からどう思われているのか、どう見られているのかが気になって仕方ありません。


そんなことばかり考えていたら、他人と会話をしている最中に、頭の中でシュミレーションが出来るようになってきました。この人にこの話をしてはいけないので、こっちの話題をしてみよう。


そうすると、こう返してくれるから、それに対してはこの言葉で話をしようなどと、会話と同時進行で、頭の中で相手が傷つかない、自分も困らない言葉を選びながら話せるようになってしまいました。


あたり障りのない会話になりがちになってしまうため、本音を相手に伝えることは出来ません。また、対人恐怖症では話をしているときも、相手に頭のてっぺんからつま先までチェックされているような気持ちになるのです。


子どもの通っていた幼稚園は公立の幼稚園だったため、送迎は基本的に親が行っていました。朝送って行く時は良いのですが、降園時のお迎えは正直憂鬱でした。


先生のお話の後、挨拶をして解散となるわけですが、子どもたちはたいてい遊具に向かいます。降園時間より30分は園庭で遊ぶことが出来るからです。


子どもたちが遊んでいる間、他の保護者の方は仲の良い保護者の方と話をされているのですが、私はそれが出来ずに一人でわが子の様子を見ているだけでした。


時折、声をかけてくれた方と話はしてみるのですが、チェックされているような気持ちになってしまう時のほうが多かったです。私がこういった対人恐怖症になったきっかけは、いじめられていたからだと思います。


小学六年生の時から高校三年生まで、同じ人からいじめを受けていました。理由はとても簡単でした。気に入らないからという勝手なものです。年齢が低い時は、まわりの友人たちが味方をしてくれ、自分なりに距離をあけることもできました。


しかし、高校では習っている科別にクラスが分かれたのです。ほとんど女子ばかりのクラスになってから一段とひどくなりました。クラスは違ったのですが、すれ違った時、例の上から下までチェックするようなことをし、大きな声で文句を言うのです。


授業中のことなども、私のクラスの人からどうだったかを聞き、それに対してまた大きな声で、わざと言うのです。高校卒業する最後の一年は地獄でした。


2クラスしかない同じ科のクラスなのに、その人のせいで私と口をきいてくれる人が、各クラス一人ずつになってしまいました。朝学校へ行ってから常に誰かにチェックされている。


自意識過剰と思われるかもしれませんが、話をしてくれる人が二人になったからこそ、そういった思いがひどくなりました。


卒業してから、まったく見かけてはいませんでしたが、今年よく行く店で16年ぶりに見かけた時は、心臓が口から出そうになるくらいドキドキして震えがとまりませんでした。


一瞬にして、あの時の思いが戻りました。この経験があったからこそ、私は人と接する時にチェックされているという不安を覚え、対人恐怖症になってしまったのだと思います。


もちろん、今も不安になる症状は続いています。いつか、ゆっくりでもよいので時間が解決してくれたらと願っています。


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