母は48歳で他界しました。直接の死因はクモ膜下出血です。当時、私はまだ17歳の高校2年生でした。クモ膜下出血がどういう病気か、そのころの私は全く知りませんでした。


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母は8人姉弟で、みんな仲がよく頻繁に集まっていたようです。また、倒れたのが仕事場であったので、葬儀やその後の法要にも親戚の他に職場の上司やお友達が大勢集まってくれました。


そんなときの話題は、やはり母の「若すぎる死」ということに終始しました。叔父や叔母も、母と同年代でありますし職場の人たちも同様です。


「武子ちゃん(母の名前です)は、なんで死んだんやろ」「病院に運ばれたとき、もっと治療してもらえなかったのか」「クモ膜下出血って、原因は何やったんやろ」そんな会話が交わされていました。


そのうち、叔父の一人がどこからか調べてきたのでしょう。誰かに聞いてきたのかもしれません。


「武子は、高血圧やったそうやで。高いときは上が200近くあったそうや」それを聞いた母と一番年の近い叔母は「ええっ?それをほっといたん?薬を飲んだり治療はしなかったん?」


「咲子、お母さんはなんか薬飲んでたか?」ふいに私に話がふられました。「ううん、何も飲んでなかったと思う」「そうか・・・それほどの高血圧を治療もせんとほっておいたのか。


クモ膜下出血の原因は、高血圧もあるそうや。そういえば、武子はよく頭痛いって言ってたもんなぁ。あれも高血圧が原因やったのかもしれんな」


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中高年だった叔父や叔母たちは、母の死の原因や高血圧に関心があったようですが、高校生だった私はそんなことよりもただ、母がいなくなってしまったこと、もう2度と会えないことが悲しくて辛くて、涙が止まりませんでした。


1年くらいは、ただ悲しんでいたばかりだったような気がします。しかし、年月がたってくると「母はどうして高血圧を治療せずに、クモ膜下出血になったのだろう。


原因はどこにあったのだろう」そんなことを考えるようになりました。私は母の一人娘です。体質や生活習慣、遺伝子が似ているはずです。将来、私も高血圧になり、同じようにクモ膜下出血になってしまうかも・・・そんな恐怖に取りつかれたときもありました。


ですから、私が母の年を追い越し、50歳の誕生日を迎えたときは心底ほっとしました。そのときを境に、私は頻繁に病院へ行き血圧の管理をしてもらうことにしました。


はじめて病院へ行ったときのドクターの言葉が忘れられません。「ちょっと高血圧ですね」「やっぱり・・・」恐れていたときが来たような気がしました。


「しかし、このくらいならまだ大丈夫ですよ。早く来られてよかったです。高血圧にいい薬もありますし、ちゃんと治療をしていけば心配することはありません」「先生、母もクモ膜下出血で早くに他界し高血圧だったのですが私の高血圧の原因は、遺伝でしょうか?」「確かに、高血圧の原因は遺伝もあると考えられています。


しかし、そればかりでもありません。しっかり治療していくんだ、という気持ちがあれば大丈夫です」ドクターからは心強い言葉をもらいました。


その日の日記にはこんなふうに書いています。「今日、病院へ行った。やはり母と同じように高血圧だった。しかし、私は母とは違う。ちゃんと治療していく。夫や娘たちのためにも。


私の味わった悲しみを、娘たちに味わわせるわけにはいかない。ストレスや食事も、高血圧の原因になるという。生活をきちんと見直し、健康に生きていこう」


それから2年がたち、私は52歳になった。治療のおかげで、血圧は安定している。すこぶる元気だ。


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