姑が認知症かな?と思う症状を出したのは75歳のときでした。私は夫の両親と、結婚当初から同居し厳しい姑にはずいぶん泣かされました。家事なども、きっちりしすぎるほどの姑で、だらしないことは何より嫌っていました。

スポンサードリンク





その姑が、部屋の片づけができなくなったのです。まず、洋服が出しっぱなしという症状が一番はじめでした。そのときは、舅が「片づけろ!」と怒鳴っていましたが、姑はどうしたらいいのかわからないという顔でした。


なんだかおかしい・・と思ったら、それから認知症の症状はどんどん進んでいきました。舅は、どう対応していいのかわからなかったのでしょうか。できていたことが、出来なくなってゆく姑に怒鳴ることしかできなかったようです。


夫も私も、舅に「そんな対応はダメです。まず、病院へ連れていかないと。認知症かもしれませんよ」と言い続けたのですが、舅は、なかなかその言葉を受け入れてくれませんでした。


姑は、テッシュを箱から1枚ずつ出して床に並べたり、食器棚から湯呑みや茶碗を出して、テーブルに際限なく並べたりもしました。それは、赤ん坊に戻ったような認知症の症状で、まだそれほど困るということではなかったです。


子供が遊ぶように、ほおっておけば静かに好きなことをしているだけですから。危険もないし、出したものは後で片づければいいだけですから。私はそういう対応をしていたのですが、やはり、舅は妻である姑の変わってゆくさまが許せなかったようです。


姑が何をしても、「何をアホなことしてるねん!」と、始終怒鳴っていました。認知症の姑よりも、舅の対応のほうがこのころは難しかったように思います。
スポンサードリンク





家族が認知症になればどう対応するのがいいのか、介護サービスはどうやって受けるのか、どんなサービスがあるのか、私は全くわからなかったので、とにかく教えてもらおうと、かかりつけの内科へ姑を連れてゆきました。


そうすると、そこで、地域包括支援センターへの相談を勧められたのです。かかりつけ医は、姑の症状を聞いて「おそらく認知症ですね」と言いました。しかし、そこでは確定診断も薬の処方もできないから、総合病院の精神科を紹介してもらいました。


その足で、教えてもらった地域包括支援センターへ行き、書類を書き担当のケアーマネージャーが決まりました。精神科へも行き、介護認定も受け要介護1が決まりました。バタバタしましたが、これでようやく姑は認知症だと認められたようなものです。


そんな手続きをしてる間も、姑の症状は進み、あんなに得意だった家事が全くできなくなってしまいました。フライパンを前に、目玉焼きを作ろうとするのですが、何から始めればいいのか、火はどうやってつけるのか、卵の割り方さえもわからなくなっていました。


ケアマネさんから「怒らないでくださいね。まず、認めてあげてください。そして、気分をそらしてあげてください」など、認知症への対応は教えてもらっていたので、私は「お義母さん、目玉焼きは私が作りますから、庭の掃除をお願いします」などと、対応していました。


庭の掃除なら、箒を持ってうろうろされても危なくないし、きれいになろうがなるまいが、どちらでもいいからですそうして姑は、何時間でも庭を掃いていました。舅は、それがまた許せなかったのでしょう。


「いつまで同じことしてるねん!」とまた怒鳴ります。舅に、正しい対応を求めるのはもう無理だったのかもしれません。そして、この舅の「怒鳴ってばかり」の対応が姑の認知症の症状を進めたような気がしてなりません。


私と夫は、2人を離したほうがいいだろうと思いました。そして、施設を探しました。費用のことが心配でしたが、包み隠さず事情を夫の兄や、親戚に話すと少しずつ負担をしてもらえることになりました。


ケアマネさんにも手伝ってもらい、いい施設が見つかり、姑はそこで3年を暮らし他界しました。まわりの人の力を借りて、なんとか乗り越えることができたと思っています。
スポンサードリンク